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野中蒲鉾ヒストリー野中蒲鉾ヒストリー
ここ野中蒲鉾がある地は約150年前、佐賀藩十代藩主鍋島直正が構築した鍋島藩海軍の基地で、当時はオランダ製造の蒸気船が多数停泊し、長崎警備に赴いた藩主、藩士がこの地より艦船に乗り航海したといわれる地です。
佐賀藩水軍の船子か子(ふなこかこ)が多く、近くに魚市場があり、前海物が取引きされ、大正時代までは天秤棒を担いで佐賀市内を売り歩く魚屋の出身地でもありました。今津の竹輪・蒲鉾も有名になり、一時はその製造所が20軒以上もありました。

野中蒲鉾は1924年(大正13年)、現在地(佐賀市西与賀町高太郎(たかたろう))で初代野中勝市がてんぷらの製造を始めました。それが野中蒲鉾の始まりです。創業当時は家内工場的で、全て手づくりでした。原料は有明海で獲れる魚が主で、魚のあたまを落とし内蔵を取り、身を晒してミンチにしててんぷらを作っていました。
その後二代目野中悟へと受け継がれ、1970年(昭和45年)頃から北海道やアメリカ(アラスカ)で製造された冷凍すり身の流通が始まり、野中蒲鉾の工場も拡大し機械化が進み生産量が大きく伸びていきました。
1978年(昭和53年)全国蒲鉾品評会において、丹精込めて作り続けている『焼ちくわ』が最高の賞である農林水産大臣賞を受賞し、1979年(昭和54年)には東宮御所への献上もさせて頂きました。この商品が大ヒットとなり1980年(昭和55年)に野中蒲鉾店から野中蒲鉾株式会社に飛躍する足がかりとなりました。またこのちくわは肉厚で長さが少し短く、手で握ったような形をしていましたので、『にぎりちくわ』と名付けられました。この時の受賞の喜びは、三代目野中昭秀と職人達に引き継がれ、職人の技の向上となり今に至っております。
2004年(平成18年)には澱粉不使用のかまぼこ、『おさしみ蒲鉾』が全国蒲鉾品評会で農林水産大臣賞を受賞しました。タラ、鯛のすり身を使いプリプリの歯応えと、滑らかな食感が特徴でたくさんのお客様に支持を得ている蒲鉾です。
その他、『がばいうまか焼ちくわ、まる天』『おさかなミンチコロッケ』など定番品から、すり身30%を使用した『おさかなドーナツ』など伝承され続ける技術と味を守り続けこれからもお客様にお届けいたします。
また工場併設の<直販店のなか>では、かまぼこの製造体験も行っています。お客様と一体になって日本の伝統食である蒲鉾を作り続けていきます。

船小屋跡を示す案内板
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航海の安全を祈願した御船稲荷神社は野中蒲鉾の敷地内にあり、
代々神社の管理をしています。

お船小屋橋の日新丸のエンブレム

現在の当社の裏、堤防の下江湖端の約7反有余の水田が繋船地の跡です。(イメージ図)
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